2009年06月08日

はじめに

 幕藩期の歴史は江戸を中心に記述されがちであるが、地方には地方の歴史があり、今日と断絶することなく連綿と続いている。越中国は藩政期に各地で町人・農民による文化が成熟し、人々は学ぶことに旺盛であった。大人も子供も、武士も庶民も、僧侶も神主も、藩校・郷学・私塾・寺子屋・学塾へ通っていた。武士にとっては学問することが出世の糸口であり、子供たちにとってはこれからの生活の知恵を身につける場であり、大人たちは教養を楽しんだ。
 近世のわが国には多くの哲学思想家が生まれ、政治・社会・経済学説を唱えている。経済の要は人々が落ち着いて生活できるため、良き政を為政者が行うことにあり、そこには文化に対する深い洞察が必要あった。商売は「あきない」で、商売人には高い倫理意識と長期的な視野が必須であり、ただ銭儲けをすることではない。農民には国の根底を支えている自覚が求められていた。そのため漢学の素養は、教養であると同時に実学であった。医者が儒学に造詣が深いのは当然であり、現代のごとく文理は分岐していない。また人々は学者の学説に接することで我が身を省み、指導者層にあっては「公」は「私」に優先することを確認した。
 当時は儒学の全盛期だが、医学に関しては蘭方を学ぶ医者も少なくなく、やがて彼ら蘭方医が加賀藩と富山藩に登用され、蘭書の翻訳、化学実験、兵制改編などにあたる。また測量についてもヨーロッパの道具が導入され、算学に通じた人たちにより正確な地図が作られ畳の上で一覧できるようになる。天文学も発達し、暦の改正がなされた。
 指導者にいくら教養があっても、庶民になければ国に活力が生まれないことは、世界史を覗けば直に分かること。その点わが国は違っていた。幕藩政末に欧米から訪れた外国人の多くが知見し、驚きを日記に書き残している。単に識字率が高いだけではない、文化と教養が人々の自治意識を高揚させ、幕藩政末期の動乱期でもさして動揺しない自信を持たせるとともに、やがて迎える明治の御世での富国強兵・殖産興業推進へ大いに寄与したことは言を待たない。そこから充実した社会生活の前提が物質文明ではなく、精神文化にあることを認識させられる。
 郷土の先人が従来からの技術や思想を尊重しながら、蘭学・洋学を意欲的に取り入れ、しかしながら決して盲信することなく、慎重に接合していった努力や知恵を、今に生きる私たちは忘れるべきではない。

■注記
 ● 文中の用語の使い方、使用した漢字、句読点などは、原則として引用した文献に合わせました。
 ● 主な使用文献は各部の最後に一括掲載し、直接引用した史料のみ適宜表示しました。
 ● 文中の年月日は旧暦を使用しています。


posted by ettyuutoyama at 18:40| Comment(0) | 歴史講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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